日本会議広島における活動の記録です
残暑とは名ばかりの酷暑の終戦記念日に、広島市内護国神社において英霊感謝祭が執り行われ、引き続き日本会議広島主催「第22回 戦歿者追悼平和祈念の集い」が同神社参集殿で行われた。参加者には例年以上に若年層が目立った。
国歌斉唱、松浦日本会議広島会長の挨拶の後、「沖縄県民斯く戦えり~知って欲しい真の沖縄~」と題して、月刊誌「祖国と青年」編集長・鈴木由充氏が講演をされた。氏は同誌に平成24年12月号より「沖縄県民斯く戦えり」と題して連載を行っており、沖縄戦の歴史を研究発表し続けている。

「現在の沖縄には『本土の捨石とされた』『本土の犠牲となった』という認識と歴史観が、沖縄タイムズや琉球新報などの、情報を独占しているメディアを中心に広められている。これは米軍基地を追い出し、沖縄独立を目指す勢力による沖縄と本土との分断工作であり、その背後には中華人民共和国沖縄特別自治区を目指す中国の意図が見える。しかし沖縄での戦いは沖縄県民だけでなく日本国民全体の戦いであり、軍人と一般住民が一体となって戦った戦闘であった。日本軍が沖縄県民に自決や犠牲を強制したと喧伝されるが、県民は率先して自発的に協力していた記録が多くある。有名な大田 實 海軍中将の最後の電文にも、若き女性が看護婦や烹炊婦や、挺身斬込隊にすら申し出る姿が記され、それだからこそ中将は『県民に対し後世特別の御高配をたまわらんことを』と記している。」その他にも空襲で休校なのに自発的に防衛のために登校した学生の手記や、女学生が父母に看護志願の承諾を頼み、叶えられ赴任する時の晴れやかな顔つきを記した国頭の高等女学校の教諭の手記などを取り上げ説明された。
また沖縄の地図を基に昭和20年4月1日に嘉手納方面に上陸し6月末に陥落するまでの米軍の侵攻と日本軍の奮戦を解説。「米軍は当初、硫黄島の経験を踏まえ万全の体制で1ヶ月で占領する計画で侵攻したが、4月中旬の嘉敷での戦線までに日本軍を上回る犠牲を出し硬直化。22日の時点では戦線突破を諦める事も考えた。結果的に占領までに当初の予定を大きく上回る3ヶ月の日数と莫大な戦傷者と神経症患者を出すに至った。この奮戦により米国側は天皇を中心とした国民の団結力を認識し、本土決戦による自軍の犠牲と天皇廃位による混乱を恐れ、無条件降伏を断念し天皇存続を認めた。つまり現代の日本の国体の護持と戦後の復興は沖縄戦での軍民一体の戦いのおかげであり、8月15日の終戦記念日にその事をかみ締めていただきたい。」と述べられた。

続いて正午の合図とともに黙祷。東京の全国戦没者追悼式に御臨席の天皇陛下の御言葉を拝聴。
「首相の靖国神社参拝と広島県知事・広島市長の護国神社参拝を定着させ、天皇陛下の御親拝の道を開き、戦後体制を脱却し憲法改正を目ざす」旨の声明文を朗読し、参加者全員で「海行かば」を斉唱。
閉会の挨拶では石橋良三県議会副議長が「沖縄のように日本の敵は日本人の中に居る。それを常に自覚しつつ広島から立ち上がろう」と述べられた。
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- 2013/08/16(金) 18:26:41|
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