日本会議広島における活動の記録です
台風10号の直撃により、大荒れの天気が予想された74年目の終戦記念日に、広島市中区の広島護国神社にて英霊感謝祭が執り行われ、つづいて同神社参集殿にて日本会議広島主催・第28回戦歿者追悼平和祈念の集いが開催され、ほとんどすべての公共交通機関が停止したにもかかわらず100名以上の参加者があった。

記念講演として「1945年夏-満州の悲劇はなぜ起きたか」と題し、作家で元中国残留孤児の赤崎 大氏が講演された。
「満蒙開拓団により満州の地は豊かな大地となったが、ソ連は虎視眈々と不凍港と肥沃な大地を狙っていた。それでも強力な関東軍がいる間は手を出せなかったが、関東軍の主力が南方戦線へ駆り出され、日本の戦況が不利とみると条約を破って満州に侵攻してきた。我々は突然の侵攻に、あわてて逃げたが捕まり強制収容所に入れられた。マイナス30度の寒さの中でもムシロ1枚しか与えられず、コウリャンを水に溶かして食べて飢えをしのいだ。そのなかで母は妊婦の身にもかかわらず、労役に駆り出され,やっと出産した赤ん坊も名前を付ける前に死んだ。その後も妹二人が1か月の間に相次いで亡くなり、残った子供は私と兄だけとなった。何としても残った子供だけでも守ろうとした母自身も無念のうちに亡くなり、兄と私は孤児となった。父も出征しシベリア送りにされたようだが亡くなったことを後に聞いた。幸い昭和28年に日本に帰る事が出来たが、残留中に中国により洗脳教育をうけ、共産主義思想をもった。しかし歴史上最も多くの民衆を殺した指導者が毛沢東であり、2番目がスターリンと共に共産主義者であることなどを知り目覚めた。
満州の悲劇はなぜ起きたかというと、関東軍という強力な武力による防衛力がなくなったことと、目的の為なら条約を破り民衆の殺戮を平気で行う共産主義のためだったと言える。憲法9条により武力行使を制限されている一方で、中国や北朝鮮など共産主義国と隣接している今の日本の状況では、満州の悲劇の再来を招く気がする。一刻も早い憲法改正を望む。」と述べられ、
「終戦の混乱時に大陸において朝鮮人に性的暴行を受けた日本人婦女子の数は、慰安婦の数よりはるかに多い。」と慰安婦問題をたびたび声高に主張する韓国にも苦言を呈された。
正午の合図とともに黙祷。東京の全国戦没者追悼式に御臨席の天皇陛下の御言葉を拝聴。続いてピアニストの水上裕子氏により、満州に残された方々を想い作られた曲などの生演奏が行われた。
「御英霊の不屈の精神と誇り高き民族の血が我々にもあることを信じ、御英霊が身を挺して守ろうとした美しい祖国日本を取り戻すために邁進する」との決意を示す声明文を朗読、「海ゆかば」を斉唱し閉会となった。
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- 2019/08/16(金) 20:46:15|
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